山本由伸の少年野球時代|使っていた道具と練習法

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WBC2026で侍ジャパンのエースとして期待される山本由伸投手(ドジャース)。

昨シーズンはワールドシリーズMVPを獲得するなど、今や世界最高峰の投手のひとりです。

しかし少年時代の山本由伸は、「どこにでもいる普通の野球少年」だったことをご存知でしょうか?

その意外すぎる少年時代の姿と、プロ野球選手になってからも語り継がれる練習への取り組みを、少年野球の視点でわかりやすくまとめます。

山本由伸の少年野球時代|所属チームと基本プロフィール

山本由伸投手は1998年8月17日、岡山県備前市生まれ。

父親が野球経験者だったこともあり、小学1年生から地元の少年野球チーム「伊部パワフルズ」に入団しています。

父・忠伸さんがそのチームのコーチを務めており、週3回ほどの練習で、純粋に野球を楽しむ環境が整っていました。

同じ伊部パワフルズには、のちにオリックス・バファローズでチームメイトとなる頓宮裕真選手も在籍。

実家が隣同士という幼なじみで、2人の父親ともにチームのコーチを務めていたという縁の深さがあります。

山本投手は小学校時代から全国大会にも出場しており、野球のレベルは高かったものの、特別な「スター選手」というわけではありませんでした。

使っていた道具|グローブは「内野手用」だった

少年時代の山本由伸選手について、特に印象的なエピソードのひとつがグローブの話です。

中学入学を機に軟式野球から硬式野球(東岡山ボーイズ)に転向した際、新しく購入したグローブは投手用ではなく内野手用でした。

プロ野球で投手として大成する選手は「子どものころから投手一筋でチームのエース」というケースが多いものですが、山本少年はまったくそうではありませんでした。

これは少年野球をやっている子どもたちにとって、非常に励みになる話ではないでしょうか。

少年野球でグローブを選ぶ際は、まずポジションに縛られず「使いやすいもの」「サイズが合うもの」を最優先にするのが基本です。

山本選手のように、内野手用グローブからプロを目指すこともまったく問題ありません。

中学時代は「エースではなかった」|東岡山ボーイズでの活躍

中学入学と同時に岡山市内の硬式野球チーム「東岡山ボーイズ」に入団した山本少年。

当時の監督・中田規彰さんは入団直後の印象をこう語っています。

「背も低くて、線も細い子でした。どこにでもいるような普通の選手でした。」

チームのユニフォームを着ると「サイズが大きくて法被を着ているようだった」というほど小柄な体型で、チームの絶対的なエースは別の投手(馬迫宙央投手)でした。

山本少年の背番号は「1」ではなく「4番」。主に二塁手とピッチャーの兼任という役割で、打順は2番や6番のつなぎ役でした。

それでも山本少年の特徴として、当時の指導者たちが口をそろえて語るのが「探究心の旺盛さ」です。

打たれても引きずらず、常に「なぜこうなったのか」を考え続ける姿勢があったといいます。

中学3年生では全国大会にも出場するなど、チームの中核を担う存在になっていました。

少年野球時代の練習法|「楽しむ」ことがすべての原点

山本由伸選手が少年野球時代に実践していた練習で最も重要なエッセンスは、「楽しむこと」です。

父親がコーチを務めていたこともあり、伊部パワフルズでの練習はそれほど厳しいものではなく、野球を心から楽しめる環境でした。

プロになってからも山本選手はファンからの質問に「小学生の間はとにかく楽しくやることが大事。

楽しくできていたら自然と練習をたくさんするようになると思います」と答えています。

これは少年野球の指導者や保護者にとって、非常に大切なメッセージといえるでしょう。

また、山本選手の特徴的な練習への姿勢として「投げ込みの繰り返し」があります。

中学3年生で引退後も、チームの練習に自主参加し、時間があればマウンドで黙々と投げ込みを続けていたといいます。

指導者も気づかないうちに投げていたというほど、自ら課題に向き合う習慣が身についていました。

少年野球でも取り入れられる山本選手流の練習ポイント

山本由伸選手の少年時代から学べる練習のポイントをまとめると、次のようになります。

まず「楽しみながら野球に触れる時間を増やす」こと。

義務感や強制ではなく、好奇心から練習に向かう姿勢が自然な積み重ねを生みます。

次に「ポジションにこだわらない」こと。

投手・野手・打者と多様な役割を経験することで、野球の全体像が身につきます。

そして「打たれても引きずらない」こと。

探究心を持って失敗を次の改善につなげる習慣が、長期的な成長を支えます。

高校進学が転機|球速が120kmから151kmへ急成長

中学野球を引退した山本少年に転機が訪れます。

宮崎県の都城高校への進学が決まり、「高校では投手として勝負したい」という気持ちが一気に高まったのです。

引退後もチームの練習に参加し、マウンドでの投球練習を繰り返す姿に、当時の指導者たちも驚いたといいます。

引退時には120km台だった球速が、中学卒業時点で130kmに到達。

さらに高校2年生の夏には151kmまで急成長し、スカウトの注目を集める存在になりました。

わずか数年での球速アップは、地道な投げ込みと研究の積み重ねによるものでした。

その後、2016年のドラフト会議でオリックス・バファローズから4位指名を受け、プロ入り。

中学卒業からわずか6年後の2019年には最優秀防御率のタイトルを獲得し、日本を代表するエースへと駆け上がりました。

WBC2026での山本由伸に注目

2026年3月5日に開幕するWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、昨シーズンのワールドシリーズMVPとして侍ジャパンのエースに期待が集まる山本由伸投手。

井端弘和監督も「日本トップの投手。エースとして勝てる投球をしてくれれば」と絶大な信頼を寄せています。

小柄で線の細い「どこにでもいる普通の野球少年」が、好奇心と探究心を武器に世界最高峰の舞台に立つ姿は、少年野球をがんばるすべての子どもたちへの大きなメッセージとなっています。

まとめ:山本由伸の少年時代から学べること

山本由伸選手の少年時代をまとめると、次のようなことが浮かび上がってきます。

小学1年生から「伊部パワフルズ」で野球をスタートし、中学では「東岡山ボーイズ」でエースでも突出した選手でもない「普通の野球少年」として過ごしました。

グローブも内野手用を選び、ポジションも投手と二塁手の兼任でした。それでも野球を楽しみ、探究心を持って投げ続けたことが、高校での急成長につながっています。

少年野球に取り組む子どもたちへのメッセージとして、山本選手が自ら語る「楽しくやることが大事」という言葉は、最もシンプルで力強いアドバイスではないでしょうか。

エースでなくても、体が小さくても、関係ない。楽しみながら積み重ねた経験が、いつか必ず大きな力になります。

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